[ 善隣門(2014年):関内側からの入口 ]
最近は「江戸時代は鎖国ではなかった」という見解もあるようですが、当時の日本人の圧倒的多数は海外の情勢を全く知らず、輸入品を目にすることもなかったので”井の中の蛙”だったのは事実です。これを鎖国と言わずして何というのでしょうか。
そんな国内情勢の下、江戸幕府がアメリカの圧力に屈して開国すると、欧米商人とともに多くの中国人が日本にやって来ました。日本に来た中国人は各地に中華街を造り、今では横浜中華街、長崎新地中華街、神戸南京町が三大中華街として観光地化しています。
その中でも横浜は明治初期に、すでに千人の中国人が在住していたそうです。
[ 横浜中華街周辺:赤丸は門の位置 青は横浜新田だったところ ]
(国土地理院 電子国土Web 一部切り抜き )
横浜中華街の入り口には、鳥居に瓦屋根を載せ派手な装飾をした門が立ち、この先は日本ではないぞ、と言わんばかりに異国情緒を漂わせています。門をくぐり中華街に入ると、たくさんの中華料理店や食材店などが建ち並び、昼夜を問わず観光客で賑わっています。横浜中華街には10の門がありますが、中華街の範囲を示すものではなく、どこまでが中華街なのはっきりした境があるわけでもありません。
中華街は、道路の向きが周辺と異なる台形型の区域を中心に発展してきました。道路の配置が周辺と異なっているのは、中国人が風水に基づいて造ったから、という風説がありますが、幕末の居留地造成の際に元々あった横浜新田の区割りがそのまま残った、という説が有力です。横浜の中心部である関内駅周辺は、江戸時代に新田開発のために入り江が埋め立てられたところで、横浜新田は1800年頃に埋立てられて水田になっています。
[ 関帝廟通り(2014年):夜も満員 ]
この台形型の区域の面積は13ヘクタール程度で、横浜スタジアムがある横浜公園(6.4ヘクタール)の二つ分ほどの広さに中華料理店などが密集し、現在はこの区域の外にもたくさんのお店があります。
横浜中華街発展会協同組合のホームページには、2024年5月時点で約300軒の中華料理店が紹介されています。このページによると、中華料理店の中でも広東料理が圧倒的に多く、次に多いのが四川料理、上海料理となっています。
ここで働いている中国出身者の故郷に比例しているのでしょうか。
[ 中華街大通り(2014年):昼も満員 ]
昼夜を問わず賑わいを見せる中華街ですが、なかには修学旅行で来たと思える制服姿の学生・生徒もいるので、治安・安全面では学校関係者のお墨付きもあり、不安はないようです。それでもお店に入り注文すると、店員から厨房への伝言は中国語のようでさっぱり意味が分からず、ちゃんと注文が通っているのか心配になります。また、お店の中でも路上でも中国語と思われる会話が多く、喧嘩しているように聞こえることもあるので、時と場所によっては不安になることもあります。
[ 旧正月(2014年1月)の獅子舞 ]
中華街のお祭りとしては、長崎のペーロンや獅子舞が季節の風物詩としてよくテレビで取り上げられていますが、横浜の中華街でも中国の風習に基づくお祭りが続いています。
旧正月にお店を廻る獅子舞は、獅子の顔や体の形、色、飾りつけは日本の獅子とはまったく違い、赤色や金色が目立つキラキラの獅子です。動きにあわせて銅鑼や鐘、さらに爆竹が派手に鳴らされて煙がもうもうと立ち上がる様子を見ていると、日本国内とは思えません。ただ、爆竹が箱の中で鳴らされるのは日本だからでしょうか。
肉まんでも食べながら見ていると、日本の獅子舞との違いを五感を通じて実感することができます。
[ 爆竹入れ(2014年):箱の中で爆竹が鳴らされる ]
中華街の中ほどにある関帝廟は、日本でもお馴染みの三国志に登場する関羽を祭った廟です。
日本で関羽と言えば、劉備に仕える猛将のイメージが強い(ゲームの影響?)のですが、中国では商売の神様として華僑の居住地で祭られていることが多いそうです。中華街では日本人が思っている関羽とは違う一面を見ることができます。
同じ神様でも、ところ変わればご利益も大きく変わるようです。
[ 関帝廟(2014年):関羽は商売の神様 ]
[ 西川口駅前(2024年):日本語・中国語・韓国語・ベトナム語 ]
近ごろ、日本に住む外国人が増えています。
令和2年国勢調査によると274万7137人の外国人が日本に住んでいます。総人口の2.2%を占め、100人集まればそのうち2人は外国人なのです。日本人は2015(H27)年から2020(R2)年の5年間に178.3万人以上減少しましたが、同じ期間に外国人は83.5万人以上増えました。
大使館や外国企業が多い都心部では、様々な国からの外国人が街中を歩き廻る姿を見ることはありました、今ではちょっとした繁華街であれば外国人がいないことはありません。コンビニや居酒屋の店員をはじめ、立ち食いそばや回転寿司のように、日本を感じることができるはずの店でも外国人が働いています。
[ UR川口芝園団地(2024年) ]
埼玉県でも近年、外国人が急激に増えた地区があります。
東京と荒川を挟み対岸にある川口市の一部、芝園町地区はすでに住民の半数が外国人になっています。芝園町地区は京浜東北線蕨駅の北側にあり、大部分をUR都市機構が賃貸している大規模な高層アパートUR川口芝園団地が占める地区で、多くの外国人が住んでいます。
団地ができる前は日本車両製造(株)の工場があり、地下鉄や私鉄のほか0系と言われる初代の新幹線車両も製造していました。工場が移転した後、住宅公団が1978(S43)年12月に15階建て、1LDK~3DK、総戸数2454戸の大規模な住宅棟と、併せて一画にミニ商店街も造られました。
[ 芝園町地区の人口推移(各年1月1日) ]
川口市の芝園町地区は、UR川口芝園団地と隣接するマンションを含む面積14.3ヘクタールの地区で、横浜中華街の中心である台形型の区域とほぼ同じ面積です。
2024(R6)年1月1日時点の人口は4,646人ですが、半数以上の2,680人が外国人です。川口市全体の外国人割合が7.1%なので、芝園町地区の外国人割合は異常に高い数値です。2000年は外国人が486人で地区全体の10%程度でしたが、2016年に外国人が日本人を上回り、2024年は58%が外国人です。
[ 団地内の店舗(2024年) ]
団地内にスーパーがありますが、日本では入手困難な食材があるためか、アジア系の食材を宣伝文句として掲げているお店がもあります。
[ 芝園団地内の注意看板(2024年) ]
団地内には様々な注意喚起があります。
公園のベンチ横に置かれていたカラーコーンには、深夜の公園で大声で話す住人に向けた張り紙が付いていました。この位置から建物までは距離がありますが、コンクリートの住棟に声が反響するのでしょうか、理解できない言語はうるさく感じるためでしょうか。日本語と中国語の注意書きでした。
すさまじいのは、どこの住棟にもある「快適にお住まい頂くためにお願い」の横に貼られていた法投棄に関する警告です。不法投棄といえば人気の少ない山林や荒地での出来事と思いますが、この団地は違います。団地内の通路や駐車場での不法投棄、さらにはエレベーターの中にゴミが投棄された写真もあります。信じられません。
UR川口芝園団地は蕨駅まで10分弱、蕨駅から赤羽駅までも10分弱と交通の便は良好です。
さらにUR賃貸物件は、保証人・礼金・仲介手数料・更新料が不要で家賃をぼったくることもないので、外国人でも安心して借りられるようです。団地内での不法投棄は、恩を仇で返すような仕打ちです。
[ エントランスの張り紙(2024年) ]
川口市には中国出身者のほかにも様々な国の人が住んでいるので、市役所は相当苦労しているようです。
ごみが捨てられる場所には、日本語を含め10の言語で「ごみは捨てないでください」と書いた横断幕が掲げられていますが、効果はいかがでしょうか。
JR西川口の駅前は違法な風俗店が一掃され、借り手がいなくなった物件に中華料理店や中国語カラオケ、アジア食材を売る店などが構えています。さらに、外国人スタッフを抱え外国人をターゲットにした不動産屋もあります。
外国人にとって衣・食・住が揃う住みやすい環境が整えられつつあります。
[ ルールを守って!(2024年):10か国語で書いてある ]
四方を海に囲まれた島国という地勢と江戸時代という長い鎖国のため、異民族との付き合いが下手と言われる日本でさえも「When in Rome, do as the
Romans
do」と同義の「郷に入っては郷に従え」という諺があります。出身国の文化・伝統を大切にし、悪しき日本の慣習があれば改善していくのは結構なことですが、現在住んでいる国とその地域のルールを守ることは、どこの国でも当たり前のことです。
ルールを守らない非常識な日本人が増えているうえに、外国人への対応も行わなければならない自治体の苦悩は絶えることがありません。
<参考資料>